自宅マンションから大阪一高い山「金剛山」が見えますが、
連日雪雲に覆われています。
大阪南部地域の小中学校では耐寒遠足で行く山です。
この耐寒遠足で初めてアイゼンをつける子どもたちがたくさんいます。
時には吹雪の中で凍ったおにぎりを食べることにも・・
最近も行われているでしょうか?


そんな、寒波の中でのニュースです。

東日本大震災の津波の犠牲となってお寺に安置されていた男児の身元がやっと判明したそうです。
これまで遺体番号で呼ばれていたそうですが、DNA鑑定の結果5歳の男児と判明したのだそうです。
津波で犠牲になったお母さんの遺体の鑑定資料が決め手になったということで、
天国からお母さんが呼びに来たのかもしれませんね。
震災から320日目に遺骨はやっと自分の名前を取り戻したことになります。
引き取られた遺骨は、お母さんの隣に埋葬されるということです。
迎えに来られたおじいさんおばあさんはどんなにつらいことでしょう。
「私どもの許に戻って参りました。御礼を申し上げます」とコメントされたそうです。

まだ、身元がわからない犠牲者がたくさんいらしゃるそうです。
一日も早く、みなさまが家族のもとに帰られることをお祈りいたします。

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先日、北朝鮮で金正日主席の遺体が「生前の姿」で永久保存されると発表されました。
ロシア革命の指導者レーニンの遺体は今でもモスクワのレーニン廟で「展示」されています。
他には、中国の毛沢東やベトナムのホー・チ・ミンも保存されているそうです。
ちなみに、金主席の永久保存にかかる費用は初期防腐処理だけで約7700万円、
その後毎年約6200万円もかかるといわれているそうです。

人は亡くなると1時間くらいで細菌が増殖し、遺体は腐っていくのだそうです。
そこで、日本ではドライアイスをたくさん使って、遺体の腐敗をできるだけ防ごうとしますが、
欧米では「エンバーミング」されることが多いそうです。
アメリカでも、最近、エンバーミングせずに火葬するという、
日本で言う「直葬」のような形が増えてきているらしいですが・・
キリスト教の教義である「復活」という意味で遺体はエンバーミングされて
土葬されるのがこれまでは普通だったようです。

最近は、日本でもエンバーミングが増えてきているそうです。
人が亡くなると、お通夜・告別式・火葬と息つく暇もなく
慣れない儀式が続きます。
もっとゆっくりお別れをしたいとご希望の場合は
ご遺体の動脈から防腐剤を注入するエンバーミングが適しているのかもしれません。
日本では、亡くなってから更に体にメスを入れることに抵抗があるかもしれませんが、
これによって2週間程度までは常温で保管が可能になるそうです。

エンバーマーの方とお話させていただいたことがありますが、
エンバーミングで生前の姿に近づけることができるので、
闘病でやつれたご遺体や事故などで傷んだご遺体に施したときには、
ご遺族から大変喜ばれるとのことでした。
「眠っているようだ」と。
ご遺体に触れることもできますし、良いお別れができるかもしれませんね。

葬儀の際施されるエンバーミングは「死に化粧」とも「永久保存」とも違います。
湯灌」という日本古来の方法で、遺体を清めるという方法もありますが、
これとも全く違います。

エンバーミングを希望されるときは、専門業者をよく調べてお願いするのがいいと思います。
あるエンバーマーの男性は、高校時代に親友が事故で亡くなって
葬儀の時に顔を見てお別れできなかったのが、心に引っかかっていたのだそうです。
友人のお母さんに
「おばちゃん、最後に会わしてえや!」と懇願したそうですが、
お母さんは「堪忍して」と拒否されたのだとか。
息子さんの無残な姿を見せたくなかったのでしょうが、
「きちんとお別れができなかった」ことで、彼は心の痛みをずっと持ち続ける事になったのです。
それで、エンバーマーという仕事があると知って、「自分がなろう」と思ったのだそうです。


人が亡くなった後、どのように最後のお別れをするのかは、ご遺族のその後の人生を考えると
とても大切なことだと思います。
お別れの仕方によって、どう悲しみと向き合うかが決まると言っても過言ではないと思います。

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加藤はるかさんは阪神大震災の時、東灘区で木造の自宅の下敷きになって亡くなりました。
はるかさんが隣家の小鳥の餌にしていたヒマワリの種が、更地となった住宅跡で、
その年の夏に大輪のヒマワリを咲かせました。
その種は神戸の他の被災地にもヒマワリを咲かせ、東日本大震災の被災地にも届けられました。

はるかさんのお母さんは昨年1月18日にはるかさんの十七回忌を終えた後、
急性心筋梗塞のため亡くなられましたが、生前、はるかさんの遺骨を手元に置いて
「私が死んだ時に一緒に棺にいれてほしい。一人でお墓に入れるのは寂しい」と
話していたそうです。

そこで、今年、姉のいつかさんの手で墓地に一緒に納骨されたそうです。


ご遺骨と離れがたく、お手元に置いておられる方は多いと思います。
「早く納骨しないと成仏できない」などという方もおられますが、
ご自身が納得されるまで手元に置いて供養するのも供養の一つのあり方だと思います。

故人を思うこと、それが供養ではないでしょうか。
故人を記憶し、思い出し、話をすること、それが供養ではないでしょうか。

子どもさんを亡くされたあるお母さんがいいました。
「だれも亡くなったこどもの話をしてくれない、まるでこの子がこの世にいなかったよう」

それはとても悲しいことですね。
人は二度死ぬといいます。
一度目は肉体が死んだ時
二度目は人々の記憶から消えた時

亡くなった人を思いだすことは、時につらいことでもありますが、
思い出すこと、記憶に留めることで、人は前にすすめるのだと思います。





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1月17日です。
私にとっては、忘れられない日です。

今年は、午前5時46分と14時46分の二回黙祷がささげられるそうですね。
17年経っても悲しみが消えないご遺族があり
17年経って復興住宅の返却時期が迫って不安を感じている被災者の方があり、
10カ月経ってやっと悲しみと向い合いだした人があり・・・

災害というのは本当に長く人々の生活を蝕むものだなあとつくづく感じています。

宮城県名取市で被災者に向き合ってきた心療内科医の桑山紀彦さんの話が
新聞に掲載されていました。(1月13日毎日新聞)

震災から1カ月たった頃・・第一次激増期
「1カ月過ぎてまだこれか」と展望や希望を失う人が多かった。
2カ月を迎えると
子どもの問題が噴出する第二次激増期
「子供が暴力的になった」「不眠や夜泣き」
半年を過ぎて
我慢を重ねてきた30~40代の働き盛りが目立ってきた
「涙がでる」「食欲不振」

小中学校を回って心のケアに取り組んでいるそうです。
大人にも語る場を意図的に作っているそうです。

専門家の出番だなあと思います。
ケアの必要な人はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
素人による安易な心のケアはちょっと難しいのではないかと思います。
できれば、専門家による簡単な講習会などを開いていただければ、
ボランティアさんも協力できるかもしれません。
ただ、ボランティアと言っても向き不向きがありますので・・

阪神淡路大震災後のボランティアで、
私は、ただただ毎週1回仮設住宅を訪れることしかできませんでした。
「こんにちは!」と声をかけ、世間話をし・・
反対に被災者の方に慰められたり、元気づけられたり・・
あのとき、大阪市此花区の仮設住宅にいらっしゃったみなさんはお元気でしょうか。

北九州「花水木」さんに飾っていただいた祈りのステージ「風」


阪神淡路大震災、東日本大震災で亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りいたします。

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図書館の新刊本に並んでいました。
「心のおくりびと 東日本大震災 復元納棺師」
納棺師笹原瑠似子さんのドキュメンタリーです。


まず、子供用の本として作られたことに驚きました。
大きな文字にふりがながいっぱいです。

東日本大震災で亡くなった方たち300名の復元、納棺をされたそうです。
津波で流されたご遺体の損傷は激しかったそうで、
「お母さんに見せられない」「子どもに会わせられない」
何とかしてください、という悲痛な叫びからボランティアをはじめられたそうです。

不眠不休で働かれたとのこと、
つらい作業の中でもご遺族の気持ちに寄り添って、時間をかけて復元していかれたそうで、
頭が下がります。
ご遺族には「おくりびとが来てくれた」と手を合わされたそうです。

時間が経てば経つほど遺体の損傷は激しくなり、
遂には白骨化して復元できなくなってしまう・・・
それにつれてご遺族の気持ちも複雑化して死を受け入れられなくなってしまう・・・

笹原さんは故人のためにはもちろんご遺族のために復元されるのだそうです。
ご遺族に寄り添うということの大切さは、平常時よりもっと重要で、困難な仕事だったと思います。

ご遺体の処理がほぼ終わった今は、心のケアが大切だと言われています。
震災から10カ月、復興計画も定まらない中、心の不安は取り除かれることなく続いていることでしょう。

阪神大震災の経験を生かして行政も心のケアに取り組んでいただきたいと思います。
私たちがボランティアをした4年間は「この仮設からひとりの孤独死もださない」を
合言葉にしていました。
先日被災地にボランティアに行った友人によれば、
全国からボランティアは来ているが、地域に日常的に関わるボランティアがいないので、
細かい対応まではできていないと思うとのことでした。
また、仮設以外に住居を構えた人には情報も支援も届きにくいとも。

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成人式というと、阪神大震災を思い出します。
当時は、1月15日が成人の日でした。
成人式のために、神戸の学生さんは郷里へ帰っていた人がたくさんいました。
郷里から神戸へ帰ってきてすぐに、あるいは郷里にまだいた時
1月17日、阪神淡路大震災が起きました。

神戸商船大の学生さんの話をお聞きする機会があったので、
成人式というと震災を思い出します。

商船大の寮では、寮生、下宿生の安否確認をすぐにしています。
さらに、学内の機械器具を使って近所の生存者の救出に向かっています。
お話を聞いて、学生さんの団結力・決断力に大変驚きました。

遺体を搬出した人もいたそうです。
しばらくは夢に出てきたり、精神的にも大変だったそうです。
18年経ってもその当時の記憶は変わらないのかもしれません。

その学生さんも今では40歳くらいでしょうか。
社会を背負ってしっかり働いてくれていると思います。

当時2~3歳だった子どもたちが今年の成人式を迎えることになりました。
被災地へメッセージを送った新成人もたくさんいらっしゃったそうで、
分かち合うことの素晴らしさを感じています。

被災地では、遺影で成人式を迎えなければならなかったご家族もあったそうで、
心が痛みます。
親御さんの気持ちを思うと・・・

新成人のみなさま、一緒に成人式を迎えられなかった人たちに思いを寄せ、
しっかり生きて行ってください。

ご成人おめでとうございます。

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仕事の合間に友人と合格祈願に大阪天満宮へ行ってきました。
やはり、お正月、沢山の人出でした。

友人はお嬢さんの大学合格と息子さんの大学院合格を祈願!

天神祭で有名な大阪天満宮ですが、日本三大天満宮には入っていないそうですね。
ちなみに、東京の湯島天神も入っていないとか、何か違いがあるのでしょうね、きっと。

お参りの途中でフジハラビルの前を通りました。
大正期のビルでなかなか素敵な建物です。



現在はギャラリーなどに使われているようです。
私の写真を撮ってくださった中田しのぶさんも昨年展覧会を開催されました。

大阪には大正~昭和初期のレトロな建築物がところどころに残っています。
大阪見物の際には、是非、立ち寄って見ていただきたいと思います。
綿業会館 芝川ビル など

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近くの神社に散歩を兼ねて初詣


新しい年が始まりました。
被災地には、各地から励ましの年賀状が届いたそうです。
年賀状を送るのは憚られると、お考えの方もおられるでしょうが、
いただいた方は励まされたようです。

「日本人よ、勇気をもちましょう」これは、新潮社の元旦の新聞広告です。
90歳で日本に帰化した日本文学研究者ドナルド・キーン氏の文章です。

かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。
「日本文学が賞賛してもらえるのは嬉しいが、川端康成作品は、あまりに日本的なのではないか」
(中略)
私が未だに感じるのは、この日本人の「日本的なもの」に対する自信のなさです。
違うのです。「日本的」だからいいのです。
(中略)
「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。
(中略)
(戦後日本が奇跡を起こしたように)東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。
なぜなら、日本人は勁(つよ)いからです。
(中略)
勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを
良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。

広告ですが、しっかり読ませていただきました。
「勁く歩を運び続けようではありませんか」というところで、頷いてしまいました。

お正月のお花が供えられています


今年も年始早々お墓参りの人が訪れていました。
これも「日本的なもの」の一つかもしれません。

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当社の業務も本日が年内最終となりました。

今朝の御堂筋 銀杏の葉もすっかり落ちました



東日本大震災が起きた2011年は、私にとって忘れられない年になりました。
9カ月が経っても、生活の未来は見えず、
心の安定には程遠い被災者の方がたくさんおられることと思います。

今朝の毎日新聞トップ「被災者からの手紙」に44歳で亡くなった娘さん宛の
娘よ 謝りたい」という手紙がありました。

お父さんは毎朝仏壇にお茶を供えているそうです。
娘さんはコーヒーが大好きだったのに、なぜお茶かというと
「黒い津波に流されて、しょっぱくて、苦しかったろう。
だから中和しなきゃと思って。」・・・


切ないですね。
そして、遺体を確認に行った時、痩せ型の娘さんとは全く違って見えた遺体番号214を
確認することができなかったが、後日DNA鑑定結果が出て、
娘さんの遺体だったとわかったそうです。

「何で気づいてやれなかったのか。火葬に付き添ってやれなかったのか。悪かった。」
と、記されています。

変わり果てた姿で、とても確認出来なかったのも無理はありません。
その時は、確認したくないという気持ちも働いたのかもしれません。
ほんとうにつらい日々だったと思います。

あるとき、同僚の方がお線香を上げに来てくれて、思い出話ができたそうです。

そして、秋には乗り合いに誘われても行く気になれなかった船にも
「来春のウニ漁の時は、また船に乗ろうか。」と思っておられるそうです。

暖かくなったら、お父さんが船に乗った姿がみられるかもしれませんね。
娘さんもきっと見守ってくれると思います。

一家族一家族に悲しみを抱えながら、
乗り越えていこうとする道が開かれることをお祈りしております。

年末年始に実家へ帰省される方も多いことと存じます。
そんな機会に家族でお墓参りはいかがですか?
お墓の大掃除ができなかったご家族はご先祖様に新年の挨拶を!
そして、みなさまで亡くなった全ての方に思いを馳せて、思い出話をしてみませんか。
私も正月には今年亡くなった身内のお墓参りに子どもたちと行ってこようと思います。

つらいお正月を過ごされる方が多いことを思うと
初詣に出かけるのも何となく億劫になってしまうような気もしますが、
来年こそ、むしろ元気に初詣に行って、被災地の復興とみなさまのご多幸を祈ってきます。

今年も拙い私のブログにお付き合いいただきありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
新年がみなさまにとってよい年になりますようお祈りいたします。

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クリスマス寒波のお見舞い申し上げます。

大阪は風が強く、寒いクリスマスでした。
水仙が強風に倒れそうになりながら、健気に咲いています。


父の実家のある山形県鶴岡市は珍しく大雪だそうです。
りんごを送ってくれたおばに電話をしたら
「吹雪いて、前など見えね!」と言っていました。
高齢の叔母たちが足を取られて転んだりしないよう祈っています。

さて、暮れになると近所の霊園には寒い中、沢山の人がお墓の掃除に来られます。
今年も朝早くからお見えでした。
お墓も新年を迎える準備です。
家族揃ってのお墓の大掃除、いいですね。
お孫さんでしょうか、小さなお子さんも一緒にお花を供えていました。


お墓のとなりの障害者の通所施設では、恒例の餅つきが行われ、
お墓参りの人も立ち寄って眺めていました。



いよいよ年の瀬という感じです。
今年身内の方を亡くされた方にとっては、つらいお正月になるかもしれませんが、
それでも新しい年はやってきます。
新しい年に新しい一歩を踏み出していただきたいと思います。

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