大寒波襲来ということで、東北地方を中心に大雪の被害が多発しているそうです。
十分ご注意ください。
大阪も今朝は強風が吹いて、めっちゃ寒いです。

さて、今朝の毎日新聞によれば、第二次世界大戦終結後、
シベリアに抑留されて死亡した日本兵の遺骨が没後66年を経て
遺族の元に戻ったということです。

家族には訃報だけで、死亡日時や場所は不明のままだったそうですが、
昨年ロシア政府から提供された抑留者の個人記録の開示請求を経て
46年3月、栄養失調のため野戦病院にて亡くなったことが判明。

さらに遺族の希望で遺骨のDNA鑑定が行われて、01年7月に極東アムール州で
収集された遺骨とわかったのだそうです。

66年間、ご遺族にとっては喉に引っかかった魚の骨のように忘れられない、
納得できない死であったのではないでしょうか。
今回遺骨が戻ったことで、心から安心されたのではないでしょうか。

故人の奥様は、3人のこどもを育て上げ、93年に既に亡くなられているそうですが、
そのお墓に一緒に埋葬されるということです。
66年ぶりの再会に奥様もきっと喜んでおられることでしょう。
子どもを残して亡くなってしまったことに恨みつらみも訴えるかもしれません。
奥様も66年ぶりに辛かった、大変だったとお話できるのかもしれません。

関連記事
関連記事2

 

Post to Twitter

カテゴリー: お墓, 雑記 | コメントをどうぞ

毎日寒い日が続きますが、みなさま風邪などひかれていませんか?
被災地はどんなにか寒いだろうと思います。

寒い朝でも犬の散歩は欠かせません。
夏場は朝6時には家を出ないと、暑くて大変ですが、
さすがに冬は6時半頃です。
それでも、この間まで6時はまだ真っ暗だったのですが、
このごろ日の出が早くなってきているのを感じます。

久しぶりに近所の川の方へ歩いてみました。
例年どおり、いえ例年以上にカモがたくさんいました。
昨年、南港野鳥園の方に聞きましたら
ここにいるカモは「マガモ」「カルガモ」「コガモ」だそうです。
(携帯の写真を見せましたら即答してくださいました)

もっと綺麗な川だったらいいのにね


あまり綺麗な川ではないのですが、一所懸命餌をとっているのでしょうか、
頭を水中に入れて逆立ちしています。
家族でしょうか、必ず数羽が一塊で泳いでいます。


しばらく、川を眺めていました。
「寒くないのかなあ?」
「どれがお母さんかな?」
「何食べてるのかなあ?」などと・・・
じっとしているのに飽きたのか、犬に引っ張られて慌てて歩き出したら
向かい側から来た自転車とぶつかりそうになりました。
「お、とっと・・」
大阪の自転車は止まりません、ぼんやりしていたら大変です。

 

Post to Twitter

カテゴリー: 雑記 | コメントをどうぞ

アメリカの友人が病気です。
verry sick とあったので、驚いています。
詳しい検査は今週あるそうで、心配です。

すぐそばの難波神社に病気平癒のお守りをいただきにいきました。
まさに「困った時の神頼み」です。
神様は怒っているでしょうか?「こんな時ばかり・・・!」と

難波神社本殿



日本の神様はきっと「仕方がないなあ・・」と許してくれると思います。

初詣は自宅近くの神社で済ませ、受験生のためには天満宮へ行ったので、
難波神社へは今年はじめてです。
神様お許しくださいね。

友人の一日も早い回復を願って、真剣にお参りしてきました。

御堂筋側に掛けられた絵馬

Post to Twitter

カテゴリー: 雑記 | コメントをどうぞ

自宅マンションから大阪一高い山「金剛山」が見えますが、
連日雪雲に覆われています。
大阪南部地域の小中学校では耐寒遠足で行く山です。
この耐寒遠足で初めてアイゼンをつける子どもたちがたくさんいます。
時には吹雪の中で凍ったおにぎりを食べることにも・・
最近も行われているでしょうか?


そんな、寒波の中でのニュースです。

東日本大震災の津波の犠牲となってお寺に安置されていた男児の身元がやっと判明したそうです。
これまで遺体番号で呼ばれていたそうですが、DNA鑑定の結果5歳の男児と判明したのだそうです。
津波で犠牲になったお母さんの遺体の鑑定資料が決め手になったということで、
天国からお母さんが呼びに来たのかもしれませんね。
震災から320日目に遺骨はやっと自分の名前を取り戻したことになります。
引き取られた遺骨は、お母さんの隣に埋葬されるということです。
迎えに来られたおじいさんおばあさんはどんなにつらいことでしょう。
「私どもの許に戻って参りました。御礼を申し上げます」とコメントされたそうです。

まだ、身元がわからない犠牲者がたくさんいらしゃるそうです。
一日も早く、みなさまが家族のもとに帰られることをお祈りいたします。

Post to Twitter

カテゴリー: お墓, 東日本大震災について思う | コメントをどうぞ

先日、北朝鮮で金正日主席の遺体が「生前の姿」で永久保存されると発表されました。
ロシア革命の指導者レーニンの遺体は今でもモスクワのレーニン廟で「展示」されています。
他には、中国の毛沢東やベトナムのホー・チ・ミンも保存されているそうです。
ちなみに、金主席の永久保存にかかる費用は初期防腐処理だけで約7700万円、
その後毎年約6200万円もかかるといわれているそうです。

人は亡くなると1時間くらいで細菌が増殖し、遺体は腐っていくのだそうです。
そこで、日本ではドライアイスをたくさん使って、遺体の腐敗をできるだけ防ごうとしますが、
欧米では「エンバーミング」されることが多いそうです。
アメリカでも、最近、エンバーミングせずに火葬するという、
日本で言う「直葬」のような形が増えてきているらしいですが・・
キリスト教の教義である「復活」という意味で遺体はエンバーミングされて
土葬されるのがこれまでは普通だったようです。

最近は、日本でもエンバーミングが増えてきているそうです。
人が亡くなると、お通夜・告別式・火葬と息つく暇もなく
慣れない儀式が続きます。
もっとゆっくりお別れをしたいとご希望の場合は
ご遺体の動脈から防腐剤を注入するエンバーミングが適しているのかもしれません。
日本では、亡くなってから更に体にメスを入れることに抵抗があるかもしれませんが、
これによって2週間程度までは常温で保管が可能になるそうです。

エンバーマーの方とお話させていただいたことがありますが、
エンバーミングで生前の姿に近づけることができるので、
闘病でやつれたご遺体や事故などで傷んだご遺体に施したときには、
ご遺族から大変喜ばれるとのことでした。
「眠っているようだ」と。
ご遺体に触れることもできますし、良いお別れができるかもしれませんね。

葬儀の際施されるエンバーミングは「死に化粧」とも「永久保存」とも違います。
湯灌」という日本古来の方法で、遺体を清めるという方法もありますが、
これとも全く違います。

エンバーミングを希望されるときは、専門業者をよく調べてお願いするのがいいと思います。
あるエンバーマーの男性は、高校時代に親友が事故で亡くなって
葬儀の時に顔を見てお別れできなかったのが、心に引っかかっていたのだそうです。
友人のお母さんに
「おばちゃん、最後に会わしてえや!」と懇願したそうですが、
お母さんは「堪忍して」と拒否されたのだとか。
息子さんの無残な姿を見せたくなかったのでしょうが、
「きちんとお別れができなかった」ことで、彼は心の痛みをずっと持ち続ける事になったのです。
それで、エンバーマーという仕事があると知って、「自分がなろう」と思ったのだそうです。


人が亡くなった後、どのように最後のお別れをするのかは、ご遺族のその後の人生を考えると
とても大切なことだと思います。
お別れの仕方によって、どう悲しみと向き合うかが決まると言っても過言ではないと思います。

Post to Twitter

カテゴリー: 悲嘆について学ぶ, 雑記 | コメントをどうぞ

加藤はるかさんは阪神大震災の時、東灘区で木造の自宅の下敷きになって亡くなりました。
はるかさんが隣家の小鳥の餌にしていたヒマワリの種が、更地となった住宅跡で、
その年の夏に大輪のヒマワリを咲かせました。
その種は神戸の他の被災地にもヒマワリを咲かせ、東日本大震災の被災地にも届けられました。

はるかさんのお母さんは昨年1月18日にはるかさんの十七回忌を終えた後、
急性心筋梗塞のため亡くなられましたが、生前、はるかさんの遺骨を手元に置いて
「私が死んだ時に一緒に棺にいれてほしい。一人でお墓に入れるのは寂しい」と
話していたそうです。

そこで、今年、姉のいつかさんの手で墓地に一緒に納骨されたそうです。


ご遺骨と離れがたく、お手元に置いておられる方は多いと思います。
「早く納骨しないと成仏できない」などという方もおられますが、
ご自身が納得されるまで手元に置いて供養するのも供養の一つのあり方だと思います。

故人を思うこと、それが供養ではないでしょうか。
故人を記憶し、思い出し、話をすること、それが供養ではないでしょうか。

子どもさんを亡くされたあるお母さんがいいました。
「だれも亡くなったこどもの話をしてくれない、まるでこの子がこの世にいなかったよう」

それはとても悲しいことですね。
人は二度死ぬといいます。
一度目は肉体が死んだ時
二度目は人々の記憶から消えた時

亡くなった人を思いだすことは、時につらいことでもありますが、
思い出すこと、記憶に留めることで、人は前にすすめるのだと思います。





Post to Twitter

カテゴリー: お墓, 手元供養, 東日本大震災について思う | コメントをどうぞ

1月17日です。
私にとっては、忘れられない日です。

今年は、午前5時46分と14時46分の二回黙祷がささげられるそうですね。
17年経っても悲しみが消えないご遺族があり
17年経って復興住宅の返却時期が迫って不安を感じている被災者の方があり、
10カ月経ってやっと悲しみと向い合いだした人があり・・・

災害というのは本当に長く人々の生活を蝕むものだなあとつくづく感じています。

宮城県名取市で被災者に向き合ってきた心療内科医の桑山紀彦さんの話が
新聞に掲載されていました。(1月13日毎日新聞)

震災から1カ月たった頃・・第一次激増期
「1カ月過ぎてまだこれか」と展望や希望を失う人が多かった。
2カ月を迎えると
子どもの問題が噴出する第二次激増期
「子供が暴力的になった」「不眠や夜泣き」
半年を過ぎて
我慢を重ねてきた30~40代の働き盛りが目立ってきた
「涙がでる」「食欲不振」

小中学校を回って心のケアに取り組んでいるそうです。
大人にも語る場を意図的に作っているそうです。

専門家の出番だなあと思います。
ケアの必要な人はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
素人による安易な心のケアはちょっと難しいのではないかと思います。
できれば、専門家による簡単な講習会などを開いていただければ、
ボランティアさんも協力できるかもしれません。
ただ、ボランティアと言っても向き不向きがありますので・・

阪神淡路大震災後のボランティアで、
私は、ただただ毎週1回仮設住宅を訪れることしかできませんでした。
「こんにちは!」と声をかけ、世間話をし・・
反対に被災者の方に慰められたり、元気づけられたり・・
あのとき、大阪市此花区の仮設住宅にいらっしゃったみなさんはお元気でしょうか。

北九州「花水木」さんに飾っていただいた祈りのステージ「風」


阪神淡路大震災、東日本大震災で亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りいたします。

Post to Twitter

カテゴリー: 東日本大震災について思う, 雑記 | コメントをどうぞ

図書館の新刊本に並んでいました。
「心のおくりびと 東日本大震災 復元納棺師」
納棺師笹原瑠似子さんのドキュメンタリーです。


まず、子供用の本として作られたことに驚きました。
大きな文字にふりがながいっぱいです。

東日本大震災で亡くなった方たち300名の復元、納棺をされたそうです。
津波で流されたご遺体の損傷は激しかったそうで、
「お母さんに見せられない」「子どもに会わせられない」
何とかしてください、という悲痛な叫びからボランティアをはじめられたそうです。

不眠不休で働かれたとのこと、
つらい作業の中でもご遺族の気持ちに寄り添って、時間をかけて復元していかれたそうで、
頭が下がります。
ご遺族には「おくりびとが来てくれた」と手を合わされたそうです。

時間が経てば経つほど遺体の損傷は激しくなり、
遂には白骨化して復元できなくなってしまう・・・
それにつれてご遺族の気持ちも複雑化して死を受け入れられなくなってしまう・・・

笹原さんは故人のためにはもちろんご遺族のために復元されるのだそうです。
ご遺族に寄り添うということの大切さは、平常時よりもっと重要で、困難な仕事だったと思います。

ご遺体の処理がほぼ終わった今は、心のケアが大切だと言われています。
震災から10カ月、復興計画も定まらない中、心の不安は取り除かれることなく続いていることでしょう。

阪神大震災の経験を生かして行政も心のケアに取り組んでいただきたいと思います。
私たちがボランティアをした4年間は「この仮設からひとりの孤独死もださない」を
合言葉にしていました。
先日被災地にボランティアに行った友人によれば、
全国からボランティアは来ているが、地域に日常的に関わるボランティアがいないので、
細かい対応まではできていないと思うとのことでした。
また、仮設以外に住居を構えた人には情報も支援も届きにくいとも。

Post to Twitter

カテゴリー: 悲嘆について学ぶ, 東日本大震災について思う | コメントをどうぞ

成人式というと、阪神大震災を思い出します。
当時は、1月15日が成人の日でした。
成人式のために、神戸の学生さんは郷里へ帰っていた人がたくさんいました。
郷里から神戸へ帰ってきてすぐに、あるいは郷里にまだいた時
1月17日、阪神淡路大震災が起きました。

神戸商船大の学生さんの話をお聞きする機会があったので、
成人式というと震災を思い出します。

商船大の寮では、寮生、下宿生の安否確認をすぐにしています。
さらに、学内の機械器具を使って近所の生存者の救出に向かっています。
お話を聞いて、学生さんの団結力・決断力に大変驚きました。

遺体を搬出した人もいたそうです。
しばらくは夢に出てきたり、精神的にも大変だったそうです。
18年経ってもその当時の記憶は変わらないのかもしれません。

その学生さんも今では40歳くらいでしょうか。
社会を背負ってしっかり働いてくれていると思います。

当時2~3歳だった子どもたちが今年の成人式を迎えることになりました。
被災地へメッセージを送った新成人もたくさんいらっしゃったそうで、
分かち合うことの素晴らしさを感じています。

被災地では、遺影で成人式を迎えなければならなかったご家族もあったそうで、
心が痛みます。
親御さんの気持ちを思うと・・・

新成人のみなさま、一緒に成人式を迎えられなかった人たちに思いを寄せ、
しっかり生きて行ってください。

ご成人おめでとうございます。

Post to Twitter

カテゴリー: 東日本大震災について思う, 雑記 | コメントをどうぞ

仕事の合間に友人と合格祈願に大阪天満宮へ行ってきました。
やはり、お正月、沢山の人出でした。

友人はお嬢さんの大学合格と息子さんの大学院合格を祈願!

天神祭で有名な大阪天満宮ですが、日本三大天満宮には入っていないそうですね。
ちなみに、東京の湯島天神も入っていないとか、何か違いがあるのでしょうね、きっと。

お参りの途中でフジハラビルの前を通りました。
大正期のビルでなかなか素敵な建物です。



現在はギャラリーなどに使われているようです。
私の写真を撮ってくださった中田しのぶさんも昨年展覧会を開催されました。

大阪には大正~昭和初期のレトロな建築物がところどころに残っています。
大阪見物の際には、是非、立ち寄って見ていただきたいと思います。
綿業会館 芝川ビル など

Post to Twitter

カテゴリー: 雑記 | コメントをどうぞ